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2006年05月02日

Einsteinプロジェクトの意味

newton apple.jpg

遅蒔きながら富田倫生氏の「青空のリスタート」を読んだ。ソニーの手書きパームトップの章に面白い話が書いてあったので以下、長文で引用させていただく。

日本で広まってきた「ペン入力」という呼び名には、「キーボードに代えて電子ペンで文字を入力する」ことにバランスを欠いて重心がかかっているように思う。より実体に近いのは、「ペン操作」だろう。

今後もまとまった文章を作る際の道具は、キーボードであり続ける。手書きコンピューターが生きるのは、おかしな言い方になるが書くことがほとんど必要ない分野だ。文章作成を例にとれば、ともかくズンズン書いて行く段階ではキーボードである。しかしいったん書き上がった文章を見直し、前後を入れ替えたり字句を訂正したりといった推考の段階では、手書きが生きる。

電子ペン一本持ってディスプレイと向き合い、引っ掛かった箇所に直接修正を加え、場合によっては短めの文章を入力する。マウスとキーボードの持ち替えといった、道具の側のつごうに強いられたわずらわしさからは、おさらばだ。

手書きはキーボードを駆逐する類の技術ではない。いってみれば、新しい世界に踏みだしていこうとするコンピューターに与えられたパス・ポートのようなものだ。

パーソナルコンピューターはタイプライターを真似ることで、大成功を収めた。しかしだからといって何から何までタイプライターでやろうとするのは、洗濯機で調理から掃除から電話の応対までやらせようとする類のマンガである。にもかかわらず我々は今、表作りからイラスト描き、音楽まで無理矢理タイプライターでこなそうとしている。あらためて立ち止って見れば、それはやはり無茶というものだ。

ではタイプライターの世界から次の一歩を踏みだすとして、どんな環境の真似っこがより大きな貢献をもたらすだろう。そう問われれば、我々が表現したり考えたり数字をいじくったりする際、ごく一般的にお世話になっている紙とペンの環境だろうと、誰もが思い付く。

ただし紙―ペン環境への移行に際しては、どうしても乗り越えておかなければいけない壁があった。それが手書き文字の認識だ。文字も入らないんじゃ、紙―ペン環境も糞もないからだ。

ただしもう一方で、我々はすでにタイプライターを真似たマシンで文章を大量に叩き込む訓練も積んできている。より幅広い世界を包含する紙―ペン環境を使いこなしの基本としたとしても、必要とあらばそこにキーボードをくっつける一手だろう。

もちろんユーザーの書き癖を覚えるなどして、手書きマシンには認識率をどんどん上げていって欲しい。認識のミスなしにどんどん入れば、それにこしたことはない。ただしそれにしても、手書き文字の認識は紙―ペン環境へのパス・ポートである事情には変わりない。

- 富田倫生「青空のリスタート」より -

ジェスチャー、遅延認識、Newtonキーボード。そんな言葉達が思い起こされてくるね。

現行のWindowsXP Tablet Edition は OSがペン操作をハンドリングしてくれないので使いにくい、と以前書いた。ペン操作をハンドリングしているのはアプリケーションであり、IMEであり、各種 APIである。これは UMPCでも同じだろう。
使いにくさの原因は、OSが「手書き」というユーザー・エクスペリエンスを提供してくれないために、ペン操作に対しての連続性が確保されていないからだ。一貫性はあるのかもしれないが、操作が滑らかではないのである。以前これを「タッチの差」と表現したと思う。

「操作が滑らかではない」というのは、Newtonを使った事の無い人には理解できないかもしれない。

Newtonは、その認識精度やハンドリング・インターフェイスなどを含めても、現行のWindowsXP Tablet Edition より、いまだに、格段に使いやすい。「このデータをどうする?」というオブジェクト指向的な体系でペン操作できる連続性を持っているため、次のアクションを連想しやすいというのも操作の滑らかさを助長している。

最近は Ajaxにしろ Web2.0にしろ、ユーザー・エクスペリエンスを前面に出した話題が多いが、であれば是非とも Newtonを体感してもらいたい。そのためにも Einsteinプロジェクトは非常に意味がある。

紙は人間にとって最高のユーザー・インターフェイスを持っている。それは間違いないが、情報は共有することで大きな意味をもつようになる。その双方の利点をバランス良く取り込んだのが NewtonOSである。

時代の符合か、Einsteinプロジェクトと同時期に Origamiプロジェクトが声を挙げた。ボクは Einstein vs Origamiを、ある意味 Macintosh vs Windowsのような感覚を持って見ている。

Newtonが情報の入力を考え抜いたデバイスであるなら、情報の利用を考え抜いたデバイスが iPodだ。Newton以外のPDAも、どちらかといえば iPod寄りの立場にある。「いまだに Newtonのようなデバイスには会えない」と口にするユーザーが多いのは、このあたりにヒントがあると思う。Newtonは、他のPDAとは立ち位置が違うのである。

Newtonは、たしかに早すぎたかも知れない。だが、ユーザー・エクスペリエンスが脚光を浴び始めている今、デバイスを変えて NewtonOSが再評価される意味は大きい。

今度開催される Newton Einstein Nightでは Relativity(連携)がキーワードになっているあたり「電子の紙デバイスで情報を共有する」という理想の形が連想されて、楽しみで仕方がない。

投稿者 Yos : 12:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月01日

カメラ内蔵ディスプレイ

またまた Apple の特許からの話題。

The sensing display includes display elements integrated with image sensing elements. As a result, the integrated sensing device can not only output images (e.g., as a display) but also input images (e.g., as a camera).

(『センシング・ディスプレイ』はイメージセンサーとディスプレイが統合されたもの。この統合デバイスを使えば、ディスプレイのようにイメージを出力しながら、カメラのようにイメージを取り込むこともできる)

これはディスプレイLCDの隙間にCCDが内蔵されているようなデバイスなんだろうか?

iChatAV-eye.jpg

たとえばiChatAVのサイトの運用サンプルを見ても、目線は相手に向いていませんね。iSight が画面よりも上に配置されているため、伏せ目がちに映ります。
でも人間は、やはりアイ・コンタクトが基本。こんな、ほんのチョットした「違和感」を見逃さずに掘り下げることが、ヒューマン・マシン・インタフェースの進化に繋がります。

カメラを意識せずに画面の相手に向かって会話するというのは、非常に自然なインターフェイスだと思います。このディスプレイ・スクリーンなら、ビデオ会議の参加者同士が離れた場所にいても目配せできるようになるらしいです。

投稿者 Yos : 12:58 | コメント (0) | トラックバック